鳥の巣箱

せまいところですが、ごゆっくり

【アルバニア旅行①】24才女一人、ガイドブックを持たずにParis-Tirana

アルバニアってどこ

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ベラト城跡の景色

有名歌手ビービー・レクサはアルバニア系。マザー・テレサアルバニア出身。

だからって訳じゃないが、2016年10月私はアルバニアを訪れた。

話逸れるけど、その半年後私は就活中に何度も「ひとり旅で訪れたアルバニアの魅力を書籍or番組で伝えたい」とよく出汁に使ってた。

結果どこの企業にも就職せずNHKアルバニア旅行ドキュメントを撮ることも、雑誌で特集記事にすることもできず2年という月日が過ぎようとしている。もちろん就活に失敗したのはアルバニアのせいじゃない。

就活中も、なんならその前もずっと思ってた。

 

記憶が鮮明なうちに記録に残したい。

一人でも多くの人にアルバニアについて知って欲しいし、旅の選択肢の一つにして欲しい。アルバニアギリシャの北隣の国でモンテネグロマケドニアと国境を接しているのでヨーロッパ/世界一周中で通過する人は結構いるみたいだけど「私、アルバニアいってくる!」ってわざわざ行く人はあまりいない。「ヨーロッパの国は全部行ったよ」っていう人にも「じゃあアルバニア行った?」って聞くと高確率で「え?アルバニア?は行ってないな」と言う。むしろヨーロッパの国であると認識されていないと言っていいかもしれない。

それどこ?はフランス語でC'est où(セウ)

私はパリのオルリー空港からアルバニアの首都ティラナ行きの飛行機に乗った。空港のターミナルはヨーロッパ行きの便とそれ以外の国や地域に行く便とで別れていたため、入り口でチケットを確認される。係の男が「どこに行くの?」と聞いてきて「ティラナ、アルバニアだ」と言うと「それどこ?ヨーロッパ?」と聞かれた。「ヨーロッパだよ」と言ってチケットを見せるとバーコードをリーダーで読もうとしたがなぜかエラーになった。「ヨーロッパ以外はもう一つのターミナルだから」あっち、と私は促される。「アルバニアはヨーロッパだ」と私は譲らずに言うと男はしょうがねぇと言わんばかりにバーコードを機械で読み込もうとするが、私から見ても機械は反応してない。男が首を横に振りながら諦めようとした瞬間「ピッ」という音と共に読み込まれた。どうやらアルバニアはフランス人やバーコードリーダーにとっても不覚の国らしかった。

girls be ambitious

当時私はパリでホームステイをしていた。ホストのマダム・フランソワーズの母親は元フランス領インドシナで50代で結婚し、4人子供を産んで育て上げた。また脇道に逸れるけど私は個人的にこの逸話が好きだ。マダムに「彼氏いるの?」と聞かれ、「いや〜私は全然そっちはだめなんすよ〜」と言うと「大丈夫よ〜私の母は私くらいの年で初結婚&出産したんだから、しかもインドシナで!」と言った。

マダムは兄弟の中で唯一のショートスリーパーで、小さい頃から誰よりも早く起き、家事や朝食の準備を他の皆んなが起きる前にやり終えていたそうだ。商社やら、コンサルやらジャーナリストやら色々なビジネスを経験したマダムは常にアジアにアフリカにフランスの国内に移動する人生だったので「一つの場所に止まる人生というものが想像できない」と言っていた。

ある日私は言った「来週からアルバニアに行ってきます」

マダムは少し考えて「アルバニ・・私は言ったことないわ・・で、どうして?アルバニアの何があなたの興味を引いているの?」

アルバニアの魅惑にとらわれて

私は中学生くらいの時、地球の歩き方を読んで世界一周妄想するのにハマっていた。そして地球の歩き方「ヨーロッパ」の最後の白黒ページのほんの数枚割いて紹介されていたアルバニアという国に釘付けになった。地球の歩き方アルバニアをヨーロッパの国として扱っていたのだ。そこには「ヨーロッパ最後の秘境」と書いてあった。

そして国旗。「アルバニア 国旗」で検索すると「コワい」が出てくるが、当時の私は「かっけ〜」と思った。『カリオストロの城』に出てきそうな双頭の鷲に赤バック。

 

アルバニアはヨーロッパで、でもイスラム教国家で、大戦後鎖国していて、共産主義国家になって、今は鎖国解いたけど、まだ貧乏な国でミステリアスな気がして」

 

さらにこの憧れを完成させたのはアルバニア人ノーベル賞作家イスマイル・カダレの『夢宮殿』だった。国家機関の“夢の検閲部門”で働いている少年が主人公の中編小説だ。こんな小説を読んだことは今でも昔でも初めてだった。

 

マダムは心配そうに言った「親御さんには言った?親御さんはこの旅行についてなんて言ってるの?」「心配してたけど、私が行きたいなら行けばって」

嘘をついた。私の親は23になる娘がパリに行くというのが心配で、友達の友達の友達の友達の知り合いくらいのツテでパリ在住の“知り合い”を見つけ出してCDGからパリの中心部にあるホームステイ先までの送迎を依頼したくらいの心配性だ。「一人でアルバニア行く」なんて言おうものなら大使館に電話して全力で止めるだろう。

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こうして10年来の憧れの地、アルバニアに旅立った。

一番安い便だったので朝の3時に起きて、まだ暗いパリの町をバックパック一つで歩いた。パリは地下鉄は終電があるがバスは24時間走っている。空港まで1時間近くバスに乗った。

途中、夜勤帰りの黒人の男でバスがいっぱいになった。外は倉庫か工場のように見えた。乗客の男たちは疲れで目がギラギラ光っていた。

私は大興奮だった。これぞ旅だ。エッフェル塔にクロワッサンにキャリアウーマンのマダムだけがパリじゃない。マダムは「移民がフランス人の職を奪ってる」と言ったけど、本当なんだろうか?真夜中のきつい仕事をやってフランス経済に貢献しているじゃないか。彼らが労働からすし詰めバスで帰宅し、夜に潜りこんでから、プチパリではクロワッサンの朝が明ける。

私はこれからヨーロッパの夜へ旅立つんだ。

 

人に声かけることがまずできなかった@Tirana

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アルバニアの首都ティラナに到着した。

空港では日本のパスポートを見慣れていなかったのか、検問の人が私のパスポート片手に奥に引っ込んでしまう。やましいことは一つもないのだけどやっぱりドキドキする。10分くらいはいなくなっていたと思う。

ボンと入国の印を押してくれて見てみると、ただの日付だった。がっかりだ。双頭の鷲のデザインのスタンプだったら一生の自慢になるのに。入管を通ると、両替所があったので両替した。多分500ユーロくらいを両替したのだが、2000レク札が何十枚と渡された。どっからどう見ても大金で、怖くなった。両替の人も、「こんな小娘がこんな大金持ってるから強盗が儲かるんだよ」と不道徳なものを見るような目をなるべく私の目と合わせないようにささっと大金を渡した。

空港から出ると、一人、アルバニア人のおっさんが目を合わせてきた。すると黙って「(向こうだよ)」というように指をさした。「(うん)」と頷いてそっちに歩いて行くと、バスというか、バンとマイクロバスの間くらいの乗り物があって、おっさんが数人世間話をしていた。「ティラナ・市内行き」なんて看板はなく、バスにも何にも書かれていないので素通りした。おっさんの一人が私をチラっと見たが、気に留めなかった。しかし改めて自分の行く先を見ると何にもなかった。タクシーすらない。Uターンしておっさんのあたりをうろうろするが、目を合わせてくれない。どちらせよどうやって市内まで行くか聞かなければならない。「あのう」と私が声をかけた瞬間「ティラナ?」あぁこれに乗んなよとバスの中に促された。これで合っていたらしい。発車直前にお金を回収されていざ出発。

アルバニアは始発と終点地はなんとなくあるらしいが、途中停車地はないらしい。その都度乗客が「そこらへんで止めてくれ」と立ち上がって、下ろす。道端で人が手をあげると止まって乗せる。

ティラナの市内らしい所に到着した。他の客は皆んな途中下車していて私だけだった。「終点だよー」って声掛けもなく、バスの溜まり場みたいな所に止まると運転手は降りていってしまい、人と立ち話をはじめた。

バスを降りた。私はその時ガイドブックも持っていなければ、Wifiをどっかで拾ってグーグルマップを使おうという知識すらなかった。宿だけはBooking.comで予約し、そのページをiPhonesafariに残していた。当時はクロームすら使っていなかった。でも都会みたいだし、歩いていればそのうち中央広場に出て、自力で行けるのではないかと思った。外国人はタクシーでボラれるという話を聞くし、どっかへんな所に連れて行かれたら怖い。歩いた。

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ノスタルジックなマネキン

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工事現場見物してるおじさんってどの国にも結構いる

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ティラナの街を散歩

街中はよくいうノスタルジーにあふれていた。やっぱり共産主義の名残が色濃く残っていて既製品などがアウトブモードという感じで、中国のちょい田舎の感じを思わせた。洗濯物が干して合って、おじいちゃん達が道端のたまり場でお茶飲みながらお話ししてて、高層マンションが遠くに見えるけど、基本的に低い建物しかなくて、人も車もすっごく多いけど、みんな誰かと話していた。廃墟寸前の建物もあって、木がコンクリを侵食している箇所があって、人の生活と暖かさが感じられた。

そんな風に一人たびの1歩目を噛み締めていた私は、最初はよかったけどだんだん暑くなってきた。喉も乾いたけど、地元民のたまり場で飲み物を買う勇気もなくて途方にくれた。

アルバニアは驚くほど単一民族で、アジア人なんて一人もいないし、アフリカ系とか金髪ゲルマン系の人もいない。街にいる人皆んなインド=ヨーロッパ系かラテン系の見た目だった。外国人が一人もいない。首都で、こんなにも都会なのにこれはかなりの異常事態に思えた。そしてさらに理解しつつあったのは「私は空気」だということだ。こんな目立つアジア女が一人歩いてたらジロジロ見たり、「どこ行くの?」って客引きされたりしても良いものだが、それが全くない。誰も私を見ようともしない。

そうか、そういうことか。アルバニアはヨーロッパ最貧国。観光産業すら産業として成り立たないから、客引きなんていない。アジアの国のように、あえてこの国に来て一儲けしようと思う外国人もいないから、外国人がいたとしてもどう接したら良いのか分からない、外国への耐性が全く付いていないのだ。つまり、こちらから声をかけない限り、何も始まらない。

もうすでに通った気がする場所を3周くらいして、やっと決心が付いた。よし、タクシーに乗ろう。ぼったくられるかもしれないけど、背に腹はかえられん。そこでまた困難に直面した。タクシーらしきものは道端に停車してるが大体空なのだ。多分運転手はどっかでチャイでも飲んでいるのか。それか、あのちょっと離れた所に突っ立ってる人が運転手なのか?確信が持てない。またさらに大きく2周くらいする。もう喉のカラカラで疲れた、よし、あのメガネかけた男の人、タクシーから今降りてボーと突っ立ってる。話しかけよう。私がその人の所に向かって歩いて行くと目があった。でも何もなかったかのように目をそらされた。構わずさらに近付いていき、ついに声をかけた「タクシー行きますか?」汗だくのアジア女、やっと一人旅で声をかけることに成功した。「あ、うん」というように車に乗せてくれた。

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革命家を飾ったホステル

共産主義革命とアルバニア

運転手に予約した宿の住所を見せると、「ああそこね」とわかってくれたようで走り出した。繁華街っぽい所にさしかかった。運転手は「ナンバーは?」というようなことを聞いて来た。さっき住所見たじゃんと思いながらまた、iPhoneの画面を見せた。「だからナンバーは?」と、「その名前の通りにもう着いてるんだ、番号は何番だ」と。え、知らないというと、運転手は怒り出した。「ナンバーが分からなきゃどうやって行くんだ!」と怒鳴った。私も自然と大声が出ていた「自分はこれしか持ってない!」運転手は車を止めた。ああここで降ろされるのかなぁと思ったら、電話して聞け、と言う。電話番号は書いてあったけど、自分のiphoneではできないから「ディス・ナンバー」と画面を差し出した。運転手はホステルに電話して聞いてくれた。宿に着いた。タクシーはやっぱ高いと思ったけど、何にしても自分一人では絶対にたどり着けなかっただろう。あの運転手も道が分からないなりに、他のドライバーにききながら、最後には電話しながらもこうして最後まで送り届けてくれたし、「ありがとう」と行って別れた。向こうも「ありがとう」と言ってくれた。

ホステルは社会主義者のヒーローたちが飾られてる、イカしたインテリアだったけど、ドミトリーの部屋に宿泊者は自分一人だった。あと何人かフランス人観光客が来ていたみたいだ。ホステルでマップをくれたので、そのマップを頼りに散策に出かけた。明日にはティラナを離れる予定だったので、どこでバスに乗れるのか聞こうとツーリスト・オフィスに行こうとしたけど結局たどり着けなかった。親切な女性のお巡りさんが「大丈夫?」と声をかけてくれて優しく教えてくれたが、そこには何もなかった。近所に高校みたいなのがあって子供達は私をジロジロ見、「ニーハオ」と言った。どこの国でも子供は正直だ。仕方がないので、大通りを歩いて博物館に行った。途中で正教会があったので入ってみた。「とりあえず無事に帰れますように」とお祈りをした。教会はすごく新しかった。もちろんモダンというわけでもなく、ただ少しがっかりする新しさだった。「共産主義時代に古いものは壊してしまったんだろうな」と思った。

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国立歴史博物館

博物館に到着。館内は暇そうな監視員とチケット係以外誰もいなくて静かだった。一瞬中国人のツーリスト集団とすれ違った。「ああ中国とは仲良いんだよな」と実感。

私は大学受験のとき世界史を選択していた。世界史でアルバニアが登場したのは第二次世界大戦後、すなわち現代史のときだ。中ソ論争で中国側に着いた唯一のヨーロッパの国、というかカンボジアともう片方の国として覚えた人も多いかもしれない。

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↑中国側についた国が、黄色。ソ連側についた国が赤。中立が黒。

 

ヨーロッパにある黒い塊がユーゴでその南にポツンとある黄色がアルバニアだ。アルバニアは戦後スターリン主義者のエンヴェル・ホッジャが人民共和国を樹立。お隣のユーゴとはコソヴォ問題で対立し、ソ連スターリン批判を行ったためこれとも敵対。中ソ論争では中国側について、近隣の国とは交流を持たず鎖国状態になった。この時に大量の武器が生産され、経済が墜落したことが現在まで影を落としているとされている。毛沢東の死後、中国とも断交し、何と1990年になってやっと解放されて民主主義政権が一時成立したが、混乱し、今は社会党が政権をとっている。

1991年のソ連崩壊に続く東欧革命の一環としても捉えられるかもしれないけれど、私はアルバニア独特だなーと思う。

19世紀末に民族意識の昂揚から、国家が形成されるまではバルカン半島の国々と同じような歴史だ。

ギリシャ植民市→ローマ帝国→ビザンティン→オスマンファシストとかソ連→ユーゴとかソ連→独立

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東洋っぽい雰囲気のイコン

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1−4世紀ごろアルバニア人の祖イリュリア人の精神文化を表したオイル・ランプ

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モスクで祈る人

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気性や見た目がラテンぽいアルバニア人



ラテン+ビザンティン+イスラムアルバニア

なぜアルバニアだけここまでイスラム教徒が多いのか?お隣のマケドニアだってブルガリアだってオスマン帝国支配下だったのに、アルバニアだけなぜ正教徒からイスラム教に改宗した人が多いのか。私はこれになんの科学的な仮説も考察ももたらせないけど、アルバニア独特の寛容さが一因にあるのではないかと思った。「外部のものをあえて拒否もしないし、特別歓迎もしない」という態度。

アルバニアの町には絶対に正教会とモスクが両方ある。イスラム教ながら、イコンを飾るお家も多いという。さらに面白いのは、アルバニア人は概してイタリアが好きということ。イタリアは海を挟んだお隣さんだが第二次大戦中にアルバニアに侵攻した歴史がある。その影響かアルバニア人の多くは英語よりもイタリア語が喋れるという人が多い。でも「なぜイタリア語を喋れるのですか?」と聞くと「イタリアが好きだから」という。絶対いう。

イワン雷帝のようなぶっきらぼうで神秘的なビザンティン、香り高いチャイにモスクのイスラム文化、ラテンの甘いものとおしゃべりが大好きな快楽主義、共産主義の栄光と挫折の苦味これらがシェイクされたカクテル。アルバニアが好きな理由はこれだったんだなと思う。ギリシャにもイタリアにもトルコにもロシアにも近い国。

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革命フロア

でも実際博物館なんかをみて、文化の影の薄さと社会主義時代の血と鉄の匂いの強さっていうのを感じた。絵画とか映画とかない。全部鉄に溶かしちまったのかってくらいその分迫力の銃のコレクションやら大砲の列で博物館が埋まってる。

 

ただコミュニスト・ホステルに戻って思ったのは都会は都会だな、ということ。モノやお店や人と車が多い、ティラナの場合はプラス野良犬が多いのだけど。根の部分でそれがどの国というか都会は都会。面白い部分は見れないなと。明日はバスに乗って違う町に行こう。そう思いながら眠りについた。正直初めての本格的な一人旅でいろんなことが怖くて1日目はご飯を食べられず、パリから持参したクラッカーと、かろうじて買った水だけ食べて寝てしまった。

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ティラナでよく見かけた広告